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  カメラマンが南京大虐殺生存者の仇秀英氏の写真を撮っている。通訊員 俞月花 撮影

  文汇報南京7月19日の特電によると(通訊員 俞月花 在蘇記者 葉志明)、蒸し暑い夏に、南京都市撮影隊のカメラマンが重い撮影機材を背負い、仇秀英氏の家をたずねる。貴重な映像を撮りながら、仇秀英氏の80年前に見たことに耳を傾け、もう一度痛ましい南京大虐殺の歴史に触れた。
  前日、侵華日本軍南京大虐殺遭難者同胞記念館の連絡により、南京都市撮影隊の十名経験豊富なカメラマンは、10組に分かられ、残りの100名南京大虐殺生存者の映像を撮った。

  歴史の記憶を保護し、一刻も猶予できない
  7月11日4時59分、南京大虐殺生存者の王学余氏が病気で、享年89歳で亡くなった。この日までに、名簿に登録している南京大虐殺生存者は、残り100名となった。
  王学余氏は、1928年5月13日に生まれた。南京大虐殺の時、彼女は9歳しかなかった。蘇州から南京への逃避行で、兄が日本軍に刺されて死んだことを目撃し、親戚の六人も全部日本軍に殺害された。当時の状況を思い出すと、仇秀英氏は涙を拭き、「血が水のように流れていた、血が水のように流れていた。」と、一言を繰り返していた。その日、記念館の公式ブログで、仇秀英氏逝去のニュースが公布されると、24時間内、約20万名ウェブメイトがフォローし、その悲しいニュースを読んだ。
  80年前、南京大虐殺生存者たちは、その痛ましい歴史を目撃し、歴史の証人となった。昨年の年初のごろ、名簿に登録した生存者は残り124名であったが、去年一年中、20名の生存者が亡くなった。生存者が生きている教科書のような存在であるため、歴史の記憶を保護することは一刻も猶予できない。

  日本軍の侵華の罪を映像で訴える
  生存者の貴重な映像を残り、この歴史の証拠を保存する。7月中旬のある午前、記念館のスタッフと南京都市撮影隊のカメラマン孫晨氏は、酷暑を恐れず、仇秀英氏の家へ行った。仇秀英氏は1930年4月5日に生まれ、1937年日本軍が南京を侵略した時はわずか7歳であった。
  当時、仇秀英氏は、南京下関の宋家梗に住んでいた。「家に父、母、兄、妹がいる。小さい商売をする。」仇秀英氏がそう思い出した。当時、彼女の二番目の姉が軌道工に嫁ぎ、日本軍侵略する前に南京に離れた。彼女とお父さん、お母さん、お兄さん、そして子供を持っていない隣の王氏と一緒に、お姉さんの地下室に隠れた。「あの時はちょうど冬で、地下室の入口で稲わらがある。母と兄が地下室に出て、私たちにご飯を作った。地下室に戻る時、日本軍に遭遇した。母は日本軍に銃殺され、兄も弾に擦られ、負傷していた。日本軍は地下室の入り口で稲わらを燃やし、私たちを煙で窒息死させる。その後、父と王氏は必死に地下室の門を開き、私たちを救った。しかし、銃に当てられた母は亡くなった。」その後、仇秀英氏は難民区に逃げ、毎日粥一杯、饅頭二個を食べて生きていた。
  仇秀英氏は2人の息子と1人の娘がいる、今は二番目の息子と一緒に暮らしている。彼女は日本に行き、日本軍侵華の罪を訴えた。「母の死因を彼らに教えた。当時南京中山埠頭、燕子磯の辺り、川が全部赤になったのを見た私は、すぐ泣き出した。」仇秀英氏が苦痛に語っていた。
  その日の午後、記念館のスタッフと南京都市撮影隊のカメラマン丁亮氏が石城の看護院に行き、病気の蒋淑萍氏を見舞った。「三ヶ月前に、生活が自分でできていたが、今年の4月23日に突然脳塞栓となり、話すことさえできなくなった。」と、彼女の息子はそう言った。蒋淑萍氏は、1923年12月23日に生まれた、大虐殺が発生した後、彼女が逃げ隠していたある農家の倉庫は、日本軍に燃やされたが、火が彼女に近づいた時に消え、彼女は幸いに災難を逃れた。
  その日の夜、撮影隊が93歳高齢の大虐殺の生存者史桂芳氏の家を訪問した。史桂芳氏は一人暮らしで、自分で野菜を買いに出かけ、料理を作る。昔のことを思い出した時は、彼女もはっきりと思えていた。

  世界記憶名簿に入選し、後世の人に警鐘を鳴らす
  生存者の映像を撮る南京都市撮影隊は、南京青年オリンピックを行った時から、大量の貴重な映像を撮り残した。撮影隊にたくさんの撮影愛好家が集まっている。彼らはカメラで国家公祭日などの記念写真を撮った。最近、撮影隊のメンバーたちは、次々と江寧、栖霞、句容、宿迁などに行き、南京大虐殺生存者の映像を撮っている。蒸し暑い日に、彼らは重いカメラのカバン、三脚、ライトニングイクウィップメント、そして黒白のバックドロップを持ち、1人生存者の家からもう1人の生存者の家へ行った。「これは意味のある仕事だ、どんなに疲れても価値がある。」と、彼らはそう語っていた。
  「このようなチャンスに恵まれるのは、幸運だ。私は生存者の口述を聞き、この歴史に対して、新しい認識ができるようになった。」孫晨氏そう語った。丁亮氏がこれは一種のパッションだと思う。「愛を持って、南京の歴史映像を残すように力を尽くしたい。これはこのチームを作る初心である。記念館からの任務をもらった当時、たくさんのカメラマンが応募したが、定員10名だけだった。落選したカメラマンは、アシスタントとしても、参加したいと言う。」
  2015年、南京大虐殺に関する資料は、ユネスコの世界記憶遺産リストに入選された。記念館の張建軍館長は「時間はいつも流れていて、記憶も保存できる。名簿に登録した100名生存者の映像はとても意義がある。この前、4回5回生存者を映像撮る仕事は行われたが、今度の撮影を通して、もっと多くの歴史映像資料を残し、この顧みるに忍びない歴史記憶をよりよく保存したい。平和を祈り、後世の人に警鐘を鳴らしたい。」
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