東京裁判の歴史的貢献は忘れてはならない
1946年5月3日から1948年11月12日まで、極東国際軍事裁判所は第二次世界大戦中の日本A級戦犯に対して国際大裁判を行い、歴史上「東京裁判」と呼ばれている。東京裁判は侵略戦争を起こし両手が被害国の人々の血に塗れた張本人を処罰し、国際正義を堅持して、人類の尊厳を守った。
東京裁判の判決から今年で75年になるが、その歴史的貢献を振り返ることは今もなお深く考えさせられる。
東京裁判の歴史的貢献は忘れてはならない
「裁判長、これは普通の裁判ではありません。私たちは戦争による破滅から文明世界を守る一部文になりつつあるからです……もし既に文明に大きな災難をもたらした個人を罰する正義がなければ、正義そのものは笑いの種になるのです。」
これは、1946年の東京裁判首席検事、米国人チーナム氏の冒頭陳述の一節である。東京裁判に自ら参加した中国の高文彬検事秘書官は生前、この言葉を引用し、東京裁判の歴史的貢献を強調した。
今年11月11日から12日にかけて、東京裁判判決75周年を迎えるにあたり、上海交通大学、上海社会科学界連合会、浙江越秀外国語学院が共同で主催し、上海交通大学出版社、『学術月刊』雑誌社、『抗日戦争研究』編集部、国家記憶と国際平和研究院、戦争裁判と世界平和研究院が共催する「戦後対日本戦犯裁判主要問題シンポジウム及び『極東国際軍事裁判所判決書』新版初出版の座談会」が上海で開催された。会議に参加した専門家は、東京裁判の歴史的貢献、戦後対日本戦犯裁判の主要問題、東京裁判に関する史料収集などの議題をめぐって検討を行った。
東京裁判は、確実な資料と証言に基づいて日本軍国主義者の犯罪行為を実証し、裁判を通じて世界に警告し、未来に警告する。座談会では、第二次世界大戦の勝利と戦犯裁判は重要な歴史的成果であり、南京大虐殺という暴行事件は東京裁判と南京裁判で十分に審理されたと指摘する学者がいた。
この座談会に参加した専門家や学者がそれぞれの報告書で指摘したように、東京裁判の価値は異なる次元に現れている。国際法の視点から見ると、東京裁判は国際法の分野で基礎を築いた功績があり、国際法の理論と実践の上で重要な意義を持っている。歴史的視点から見ると、東京裁判は日本に新生をもたらし、戦争犯罪に対して歴史的追及を行っただけでなく、未来に対する警告でもあった。現実的な意味から見ると、『極東国際軍事裁判所判決書』は世界に歴史の真相、現実の衝突を考えさせ、百年も未曾有の大変局に対応するのに役立つ。
専門家は、学者はより多くの社会的責任を負うべきであり、相関する社会科学者により多くの成果を生み出すよう呼びかけ、国家記憶と国際平和研究院、戦争裁判と世界平和研究院の2つのシンクタンクも関連研究を推し進めるべきだという共通認識に達した。
歴史的回顧
2年半にわたる東京裁判の開廷裁判の過程において、中国代表団は一つ一つ動かぬ事実を用いて、戦争犯罪者を歴史の恥辱の柱に永遠に釘付けにした。
1946年5月14日、向哲浚をはじめとする中国の検察官チームは初めて法廷で発言し、被告弁護士が中日宣戦前に戦争が存在しなかったという弁解を力強く反駁した。
「九一八事変」の主な画策者である板垣征四郎は傲慢無礼で、48ページの弁護語を書いて自分の罪を逃れようとした。1947年10月8日から10日にかけて、中国検察官首席顧問の倪征オク氏は法廷で板垣征四郎にそれぞれ122回、202回、168回問い詰め、詰問総数は500回も近くに達した。
何日間も渡る詰問、弁論を経て、倪征オク氏は確実で有力な証拠と優れた攻撃弁才によって、戦犯土肥原賢二と板垣征四郎の弁護防御線を徹底的に崩したのである。
1946年から1948年にかけて、中国を代表する梅汝璈氏は極東国際軍事裁判所の裁判官に就任し、東京に赴いて他の10カ国の裁判官と共同で日本主要戦犯の裁判を主宰し、南京大虐殺事件とA級戦犯松井石根の裁判に直接参加した。
中国の梅汝璈裁判官(中)が裁判官席にて
梅汝璈氏は2年余りの裁判の過程において収集された日本軍の暴行の証拠に基づいて、中国で極めて凶悪な罪を犯した犯罪者東条英機、広田弘毅、土肥原賢二、板垣征四郎、松井石根、武藤章、木村兵太郎などに死刑判決を断固として主張した。結局、梅汝璈の絶え間ない交渉と斡旋の下で、多くの裁判官は彼の観点を認め、法廷は南京大虐殺暴行の主要責任者である松井石根を含む7人の戦争犯罪者に絞首刑判決を言い渡すことを決定した!
1948年11月12日に絞首刑判決を受けた7人の被告。左上より:板垣征四郎、東条英機、土肥原賢二、広田弘毅、松井石根、武藤章、木村兵太郎
これは極めて困難な裁判であり、公平で正義な裁判でもある!正義を守り、戦犯を厳罰するために卓越した貢献をした中国代表団の名前は永遠に銘記されるべきである。それは:梅汝璈、方福枢、羅集誼、楊寿林、向哲浚、裘劭恒、劉子健、朱慶儒、高文彬、倪征オク、呉学義、鄂森、桂裕、周錫卿、張培基、鄭魯達、劉継盛である。
中国代表団の一部メンバー(前列左より):桂裕(顧問)、倪征オク(顧問)、向哲浚(検察官)、呉学義(顧問)、鄭魯達(通訳)、張培基(通訳)、(後列左から)周錫卿(通訳)、劉子健(検察官秘書)、楊寿林(裁判官秘書)、鄂森(顧問)