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  84年前の2月21日、アメリカのマッカラム牧師(J.H.McCallum)は、「南京難民合唱曲」を創作した。難民に、生きる勇気と力をもたらした歌であった。

  1937年12月13日、南京が陥落してしまった。その後、難民を救助するために、当時、鼓楼病院の行政管理者であったマッカラム牧師と外科医のウィルソン氏らは、引き続き南京に残った。(鼓楼病院 University Hospital Of Nanking 前身は金陵大学病院である。1892年、カナダ人宣教師のマーリン氏により、アメリカ教会などの援助で創設された。南京大虐殺の間、鼓楼病院は一般市民に向け、全面的な治療を提供した唯一の医療機関である。)

  居住環境と衛生状況の悪さに加えて、難民たちは長期的な飢餓状態となり、抵抗力の弱さから、真菌による脚気症が流行し始めた。医者はそら豆で脚気を治療する方法を勧めた。その時、国際友人らは上海でそら豆を大量に集め、南京に運ばせた。彼らの努力に感謝するため、マッカラム牧師は「南京難民合唱曲」を創作した。「朝ごはんはそら豆に、昼ごはんはそら豆に、晩ごはんはそら豆に、えんどう豆、そら豆、緑豆、そら豆、たくさんのそら豆に……」この歌は、難民たちに『そら豆の歌』と呼ばれ、親しまれている。

  中国からの見学者、蒋巍さんはコメントした。「『そら豆の歌』は、あの暗い歳月を記録すると同時に、難民に生きる勇気と堅持の力をもたらした。85年間の歳月が経ち、今日、私たちはそら豆を食べる時、マッカラム牧師らのことを思い出します。彼らの奉献精神に心から感謝しています。」


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