再び「大愛の道」である南京安全区を歩く
先日、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館(以下「記念館」と略称する)が主催し、中国共産党鼓楼区委員会宣伝部、南京師範大学が共催した「感謝・南京安全区」第7回国際平和徒歩活動開始式が南京師範大学随園キャンパスで行われた。
今回の活動では、南京大虐殺生存者の子孫、南京安全区内で助け合っていた中国同胞の子孫及び江蘇省市赤十字会、博西公司、南京師範大学、ラベー記念館、紫金草ボランティアなどの社会各界150人余りの国内外の人々が南京安全区を再び歩く形で、南京師範大学随園キャンパス、ラベー旧居、鼓楼病院、南京安全区国際委員会旧跡といった歴史的証明地を巡り、忘れてはならない記憶を蘇らせた。
「感謝・南京安全区」第7回国際平和徒歩活動の開始式
南京師範大学随園キャンパスの前身は金陵女子文理学院である。今回の徒歩活動に参加した元金陵女子文理学院総務主任の陳斐然氏の娘、陳潮一さんは、父親が仕事と生活をしていた場所に来て、とても誇りに思ったという。「お父さんが歩いていた南京安全区を再び歩いて、今の南京城の素晴らしさを感じています。これは、この町の最も暗い時にここをしっかり守って同胞を救っていたお父さんたちが最も望んでいたことなのではないかと思います」と話した。
南京大虐殺生存者の常志強氏の娘、常小梅さんも現場に来て徒歩に参加した。彼女は、「私は感謝の気持ちを持って参加しました。血なまぐさい歳月の中で、助け合った中国人同胞と利己心のない助けを与えてくれた国際友人に感謝します」と話した。
博西家電グループ大中華区の上級副総裁兼最高経営責任者金世峰氏がジョン・ラベー像に献花
1930年、ドイツのシーメンス会社員ジョン・ラベー氏(John Rabe)が南京に派遣された。その後、ジョン・ラベー氏は南京でバラックを作って、わらを敷き、庭に簡易だが頑丈な防空壕を掘った。
博西家電は2004年にラベー旧居の修繕を発起し参与して、その後も寄付側の一つとしてラベー記念館の運営を支援してきた。2021年に娘を連れて「安全区を再び歩く」という平和徒歩活動に参加したその従業員の葉声勇さんは、今年は「ラベー記念館に入って読書探訪活動」に参加した。「これらの活動に参加することで、その歴史を深く理解し、危難の時に助けてくれた人に感謝します」と話した。
特筆すべきことは、今回の徒歩活動では、多くの若者の顔が現れたことである。モルドバ出身の南京師範大学留学生の伊飛さんは、初めて徒歩に参加したという。鼓楼病院歴史陳列館を見学して、南京大虐殺期間中の人道的救援の事跡をたくさん知るようになった。「訪問先で紫金草の花びらを集めることはまるで歴史の記憶を拾っているように、私はこの歴史を永遠に心に刻みます」と伊飛さんは言う。
南京大虐殺生存者の常志強氏の娘の常小梅さん(左より2人目)と南京安全区内で中国同胞を守った陳斐然氏の娘の陳潮一さん(左より3人目)は徒歩者にメダルを授与している