お問合せ先 | 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館

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  秋が深まり、重陽の節句が訪れてきた。中国ではこの日、茱萸を飾り、高所に登って菊酒を飲み、長寿を願い災難を払う風習があった。老人の祝日ともいわれる。

  南京に歴史の被害者であり、証人でもある特殊なお年寄りたちがいる。彼らは、南京大虐殺の生存者である。近頃、記念館は南京侵華日軍被害者支援協会と、「幸福な老後生活―高齢生存者へ温もりを送る」及び2023年重陽節に南京大虐殺生存者を慰問するというテーマ活動を行った。江蘇省人民病院南京大虐殺生存者健康ケアサービスチームの医療ボランティアたち、記念館スタッフ、南京侵華日軍被害者支援協会スタッフと紫金草ボランティアが一同に南京大虐殺生存者をお宅まで慰問し、彼らに温もりと祝福を送った。

 陳徳寿氏:体が丈夫で、声が元気そうだ

  1937年、陳徳寿氏の父親は日本軍に連行され、おば(父の妹)は日本軍の性的暴行に従わず、命懸けで抵抗したため、怒り出した日本軍に6刀を連打された…。その後、祖母と妹はマラリアで亡くなり、母親は生計を維持するためにやむを得ず再婚したため、幼い陳徳寿とその祖父は頼りあって艱苦に生きていくしかなかった。


  86年が過ぎ、今の陳徳寿氏は体が丈夫、声が元気そうで、時々自分一人で数キロほど歩いて物理療法に行っている。10月18日彼の誕生日の日に、記念館のスタッフやボランティアたちが陳徳寿氏に誕生日ケーキとお祝いを送ってくれた。陳徳寿氏は「陽暦の誕生日を過ごすのは初めてですし、こんなにたくさんの人に思いやっていただいて、とても幸せです」と嬉しそうに話した。

  王子華氏:京劇を聴いたり新聞を読んだりするのが好き

 1937年、まだ5歳の王子華氏は父親について戦乱から他所へ逃れた時、日本軍の弾丸に腕を打たれた。当時は医療条件が悪く後遺症が残り、雨の日になると腕の銃傷が痛くなる…… 

  今年で91歳になった王子華氏は、行動に不便があり、普段は家のリビングやベランダを歩き回っている。ご家族は、家で京劇を聴いたり、新聞を読んだりするのが好きで、そしてそれを通して国のことを知るといっている。

  南京工業大学の学生の鄧会さんは今回記念館の生存者慰問の重陽節活動に参加した。彼女は「王おじいさんの腕に残った傷を見て、今の生活はどんなに平和で素晴らしいのか、私たち若者はどれほどこの時代に恵まれているのかは、つくづくと感じています。私がやっているのはボランティアの仕事ですが、それだけでなく、歴史を忘れない責任感も含まれていると思います。ボランティアを通じて歴史と平和のメッセージを伝えることは、非常に意義のあることだと思います」と話した。

  石秀英氏:広場ダンスを見るのが好きで、生活は幸せ

  10月22日、記念館のスタッフは江蘇省人民病院婦幼分院生存者健康ケアチームの看護師3人と一緒に生存者の石秀英氏を慰問した。

  1937年、石秀英氏はわずか11歳頃、父の石昌福と長兄の石坤宝は侵華日軍に虐殺された。彼女自身も日本軍に三刀を突きつけられ、その後難民区に隠れて生き残った。

  現在、幸せに暮らしている石秀英氏は、食後、家族に車椅子を押してもらって団地を散歩したり、広場ダンスを見たりしている。生活の上では、自分にできることを家族に迷惑をかけないように自分でやっているという。ボランティアたちがくれた新しい唐服を着た石おばあさんは顔に喜びの笑みを浮かべていた。

  看護師たちはまた、石秀英氏の日常必要な薬を注射する方法をご家族に詳しく指導した。江蘇省人民病院婦幼分院婦人科専門看護師長の戎明梅氏は、「専門知識を用いて高齢者に健康を支援することができてとても光栄に思います。高齢生存者たちが幸せで安らかに余生を送るように願っております」と話した。 

  艾義英氏:子孫がいっぱいで、生活に心配なし

  艾義英氏は今年95歳。当時、艾家は青壮年男性はすべて日本軍に殺害され、生き残って艱苦に生計を立て子供を養う4人の女性は「艾家未亡人」と呼ばれていた。この「傷だらけ」の記憶を持っている艾義英氏だが、数十年もかけてずっとその歴史の真実を勇敢に語り続けて、被害者のために、平和のために代弁してきた。

  今、老後の生活となると、艾義英氏は顔に笑みを浮かべながらこう言った。「今は生活に心配はありません。昼は団地の食堂にはおかず三品とスープ一つがありますし、午後は何人かの古い友人とトランプをしたりしていて、とても楽しいですよ」。

  ボランティアは艾義英氏に新しい服を着せた。

  阮定東氏:新しい流行を追うのが好き、それは老後の楽しみの一つ

  阮定東氏は新しい流行を追うのが好きで、楽しみの一つだという。以前は3、5人の親友と一緒に団地で碁を打つのが好きだったが、今は家庭用パソコンで碁を打つようになった。奥さんは時々「おじいちゃんは碁にはまっちゃった!」と笑って言う。新聞を読むのも好きな阮定東氏は、国の発展の成果に関する記事を見るたびに家族と分かち合ったりするという。

ボランティアと阮定東ご夫妻と雑談している

  高如琴氏:若者に平穏に暮してほしい

  高如琴氏は今年89歳で、とても元気そうだ。


  1937年、日本軍が発砲した一発目は彼女の母親の足にあたり、その足が撃ち抜かれてしまった。二発目は祖母の胸にあたり、「ああ」と言って孫の高如琴の手を離し、その場で倒れた…。その後、父は高如琴を難民所に連れて行き、供給された救済粥で毎日生きていた。高如琴氏は、「今生活は本当に良くなりました。今の若者が無事平穏に暮らせるように願っています。そして、目の前の幸福を大切にしてほしいです」と言っている。

  馬庭宝氏:四世代が同居で、子孫が親孝行

  1937年、馬庭宝氏の父馬玉泉、二番目の叔父楊守林と叔父温志学、など多くの親戚や青壮年村民が日本軍に連行されて下関江辺で集団虐殺された。馬庭宝氏はまだ幼いので日本軍に捕らえられずに幸い死を逃れた……


  86年が過ぎた現在、そのご家族は既に4世代が同居しており、子供たちも親孝行して、よく馬庭宝氏を旅行に連れて行っている。彼の今の願いは、子供たちが歴史を覚え、代々この歴史を受け継いでいくことだという。

  南京大虐殺生存者の黄桂蘭氏、李長富氏、魏桂如氏、薛玉娟氏のご家族は生存者最近の生活状況や写真を送ってくれた。重陽の慰問品が届いた日、ちょうど黄桂蘭氏のご家族はおばあちゃんのために誕生日パーティーを開いているところなので、彼女はとても喜んで、記念館から送られてきた唐服を着て、家族と一緒にお祝いしたそうだ。


黄桂蘭氏が誕生日パーティーで家族と記念撮影


李長富氏


魏桂如氏


薛玉娟氏

  春節、端午節、中秋節、重陽節などの祝日のたびに、記念館と南京侵華日本軍被害者援助協会は訪問や郵送方式を通じて、高齢になった生存者一人一人に慰問品を送り、挨拶に行くようにしている。

  2018年から、記念館、南京侵華日軍被害者支援協会と江蘇省人民病院は「南京大虐殺生存者健康ケアサービスチーム」を設立して、医療非常通路を開通し、応急診療やオンライン問診を提供し、定期的に健康ケアを行い、高齢生存者の健康を守っている。

  我々一同は心より生存者たちの健康と幸せをお祈りします!

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