「南京大虐殺が私との関わり」シリーズ(7)| 楊冬権:「南京大虐殺文書」が世界遺産登録成功の裏にある話
記念館の1番ゲートの彫刻広場にそびえ立っている高さ2メートル余りの四角い石碑に『世界記憶リスト・南京大虐殺文書』という文字が刻まれており、南京大虐殺の記憶が都市記憶、国家記憶から、世界記憶に上昇することを象徴している!
四年前のこの日、2018年12月8日にこの世界記憶リストの石碑が記念館の広場に立てられた。当時国家文書局局長を務めた楊冬権氏は、証人として『南京大虐殺文書』の世界記憶遺産登録の全過程を見届けた。
第9回南京大虐殺犠牲者国家公祭の日を迎えた際、編集者は北京にいる楊冬権氏に電話し、『南京大虐殺文書』の世界記憶遺産登録の背後にある話を聞いた。「とても光栄です。私は申告作業の全過程を経験し、それに参与しました。もう何年も経っていますが、やはりはっきり覚えています」と楊冬権氏は言った。
楊冬権氏
時間差し迫っているが、突然申告変更
「それは2014年2月26日昼頃、局のスタッフが私のオフィスに入って、午前中,複数の委員会の協調会に出たことを報告してくれました。参加者は南京大虐殺文書と日本軍「慰安婦」強制徴用文書をユネスコに今年の『世界記憶リスト』登録に申告するよう提案し、今は国家文書局にはできるだけ早く決定する必要があるということです」と楊冬権氏はその日のことをはっきり覚えている。
『世界記憶リスト』は2年ごとに各国が申告し、毎回2つの項目を申告することができることになっている。それまで、国家文書局は明代の2枚の星図に関する申告資料を準備していたが、突然資料を変更しろと言われた楊冬権らは厳しい挑戦に直面しなければならないとわかった。それはその締切の3月31日まで後32日しかなくなり、また、必ず日本側に全力に阻まれるに違いないと思われたからだ。
日本側の従来この歴史を否定する悪質な行為に対して、楊冬権氏は直ちに申告計画の変更を決定し、ユネスコに南京大虐殺文書と日本軍の「慰安婦」強制徴用文書を『世界記憶リスト』登録に申告するために、改めて資料の再組織に全力を尽くすことにした。
緊張した準備作業
緊張した資料準備の作業に直接参与した楊冬権氏には、最も印象深かったのは、『程瑞芳日記』の位置づけだった。
この日記を読み終わった楊冬権氏はすぐに『アンニ日記』を思い出し、『程瑞芳日記』を「東方の『アンニ日記』、或いは中国の『アンニ日記』」と評価した。これに対して、彼は次のように説明した。「その一に、アンニと程瑞芳はみんな女性である。その二に、彼女たちはファシズム戦争の恐怖の中で暮らしていた。その三に、彼女たちは日記という形で、自分の経験を記していた。その四に、彼女たちは強い哀れみを持っている。その五に、2009年に『アンニ日記』はユネスコに『世界記憶リスト』に登録された。『程瑞芳日記』と『アンニ日記』を対照にするのは、ユネスコの専門家審査員たちに、中国の『程瑞芳日記』を含む南京大虐殺文書も、同様に『世界記憶リスト』に登録され、世界に銘記されるべきだと表明したいと考えているからである。そして「東方の『アンニ日記』」という評価は、『程瑞芳日記』に目をつけてもらい、それを灯すマッチを見つけて、脚光を浴びるようになったのだ」。
最後に選別を繰り返した結果、楊冬権氏の指導のもとで、ついに申告締切日の同日午後、国家文書局世界記憶工程中国国家委員会の名義で、ユネスコ世界記憶工程の秘書処に『南京大虐殺文書』と『‘慰安婦―日本軍性奴隷’文書』の申告表を正式に渡した。
今回の『南京大虐殺文書』は、中央文書館、中国第二歴史文書館、遼寧省文書館、吉林省文書館、上海市文書館、南京市文書館、侵華日本軍南京大虐殺犠牲同胞記念館の7つの部門が共同で申告し、11組の文書から構成されている。
これらの文書は、侵華日本軍が南京で虐殺を行い、女性を強姦し、財貨を強奪するなどの凶悪犯罪と恥知らずな行為を共に反映している。
申告妨害:日本側が狂気に妨害
中国が申告した文書は南京大虐殺と日本軍の「慰安婦」強制徴用に関する文書と文献であることを知ると、日本側は理不尽な反対と狂気の妨害を始めた。
日本の右翼団体は、南京大虐殺の関連文書を「真実ではない」「捏造だ」と中傷する告発状と1500人以上の専門家の連名書簡を審査員や専門家に送った。
楊冬権氏は、「告訴状にはいくつかの理由が挙げられているが、それは非常にでたらめだ。例えば、日本軍が南京城に入ったのは12月で冬だったが、写真では殺人を犯した日本軍が単衣を着ているので、日本軍が殺人をした写真は‘真実ではない’と言うなんて、とんでもない!」と述べた。
白いシャツを着た日本軍が中国人捕虜を斬殺している
実は、程瑞芳は1937年12月12日の日記に「この2週間、天気はとても暖かく、難民のためには良いが、敵のためにも助戦した」と明記している。日記に「天気はとても暖かい」と記載されている以上、殺人の日本軍が単衣を着ていることは、完全に説明できるのだ。
「最もでたらめなことに、告発状の中では、中国は日本軍が都市に入ってから女性を乱暴に強姦したと主張しているが、レイプされた女性が妊娠して子供を産んだことによって、翌年の南京の人口は増加するはずだが、しかし人口統計の数字から見ると、南京の翌年の人口は異常に増加していないという屁理屈を並べた。これは本当にでたらめな論理で、恥知らずの極みだ!あいつらに分かってもらう必要がある!日本軍は女性を強姦した後、彼女たちを残酷に殺害した!さらに、その年には強姦された女性の中には屈辱を受けて自刃した女性もたくさんいた!日本の右翼は、中国女性の剛毅さを理解できますか?!」楊冬権氏は義憤に満ちて言った。
申告に成功!南京大虐殺が世界の記憶に
緊張した準備と反対勢力への困難な対抗を経て、最終的に、アラブ首長国連邦アブダビ現地時間2015年10月9日夜、ユネスコの公式サイトで、2015年に「世界記憶リスト」登録に入選されたリストに、中国が申告した『南京大虐殺文書』が入っており、我が国で10番目に登録された世界記憶遺産となった!
南京大虐殺は都市記憶から、国家記憶、さらに世界記憶に上昇した!
ユネスコ公式サイトのスクリーンショット
『南京大虐殺文書』の申告内容
その少し前にリーダーポストを離れた楊冬権氏はこのニュースを聞いて、とてもうれしくてたまらなかった。「正義はついに勝利しました!私達の主要な目的はついに達成しました!ほっと胸をなでおろしました!」7
「当時、結果を知ってから、国内のいくつかのメディアが次々と情報、報道、評論、取材を発表したと覚えています。これまで中国の文献登録申請が成功したとき、世論のホットスポットとメディアの報道は今回ほど大きな反響を呼んだことはありませんでした。いくつかのメディアが私を取材すると、私はいつも興奮して、南京大虐殺文書は『世界記憶リスト』登録申請に成功して、日本を永遠に恥辱の柱に釘付けにしたことになると答えています!日本は従来南京大虐殺を否定していますが、今では、『南京大虐殺文書』は世界の記憶、人類の記憶となり、日本の顔に「恥」という文字を刺して永遠に消すこともできず、洗うこともできないようにしたのです!」
ここで発生したすべてをより多くの人に覚えてもらうために、冊子にまとめ、記念碑を建てる
これらの貴重な文書をより効果的に保護し利用するために、当館を含んで申告に参与した7つの機関は2年以上の時間を費やして、所蔵の南京大虐殺文書を大規模に整理し、デジタル化し、データベースを作成した。
2017年、『世界記憶リスト―南京大虐殺文書』(全20巻)が出版され、全書が7集、全20冊に分けられ、別冊に総目1冊がある。冊子内の各文書には中国語の解説があり、英語、日本語の翻訳文が付いている。内容は主に日本側加害者による記録、米英などの第三者による記録、中国側被害者による血涙まみれの訴えを含む。
2018年12月8日、第5回南京大虐殺犠牲者国家公祭の日を迎え、南京大虐殺生存者の夏淑琴氏が記念館1番ゲートの彫刻広場で『世界記憶リストー南京大虐殺文書』石碑を除幕した。それ以来、この石碑は、記念館のメーン入り口に静かに立っており、来場者一人一人に、ここで発生したことを思い出させている。
文書管理者として、楊冬権氏は専門的な角度から『南京大虐殺文書』の重要性と意義を解読した:
「第一に『南京大虐殺文書』は南京大虐殺の歴史的証拠であり、歴史の真跡を残しており、すべては侵華日本軍の暴行の動かぬ証拠である。第二に、南京大虐殺の歴史研究には文書史料が欠かせず、歴史を深く掘り下げる上で不可欠な役割を果たしている。第三に、それは歴史大衆化教育を行う教材であり、強い説得力と感染力を持ち、次世代、特に青少年の愛国教育に対して、非常に重要な意義を持っている」と述べた。
「南京大虐殺は私と何の関係があるのか」と問われると、楊冬権氏は電話で「記念館を見学した時、受難者の遺骨、亡くなった子供の服、強姦された女性の写真などを見て、心の中でこの上なく悲しみました。それはみな私たちの同胞なのです!文書管理者として、できるだけ『南京大虐殺文書』の世界遺産登録申告に成功させるためにできる限りの力を尽くし、より多くの人に歴史真相を知ってもらい、歩んできた苦難と苦労を銘記させることが、彼らに対する最良の慰めであります。私たちはその暴行を経験したことはありませんが、今立っているこの土地では、この惨めな大虐殺が発生したことがあります。それでこの歴史とは関係がないと言う理由はどこにある?」と確固たる口調で言った。