さらに動かぬ証拠を!
11月30日、侵華日本軍南京大虐殺犠牲同胞記念館は2022年新募文物史料記者会見を行い、侵華日本軍の「陣中日誌」、「栄第1644部隊」の関連写真などを含む重要文物史料を記念館に所蔵した。現在までに、記念館は2022年に新たに文化財史料453点(組)を募集できた。11月30日、侵華日本軍南京大虐殺犠牲同胞記念館は2022年新募文物史料記者会見を行い、侵華日本軍の「陣中日誌」、「栄第1644部隊」の関連写真などを含む重要文物史料を記念館に所蔵した。現在までに、記念館は2022年に新たに文化財史料453点(組)を募集できた。
メモ
記念館は今年も、日本友人の大東仁さんに日本で貴重な文化財史料を51点代募するよう依頼し続けた。その中には、日本軍兵士新井淳の『陣中日誌』、侵華日本軍第九師団歩兵第三十六連隊第十一中隊の『陣中日誌』、日本軍「栄第1644部隊」の写真、「南京陥落児童教育演劇カード」などの重要文化財史料が含まれている。記念館はコルナ禍の影響を克服し、新華社と春秋航空の強力な支持のもと、この史料を記念館に運んで来て入蔵した。
日本軍「慰安婦」制度の更なる動かぬ証拠を
侵華日本軍兵士新井淳の『阵中日志』
侵華日本軍兵士新井淳の『陣中日誌』は、1937年10月12日から1938年9月23日までの、新井淳が部隊に従って日本国内から船に乗って出発し、侵華戦場に投入され、上海、南京、無錫、嘉興、鎮江などに駐留した日記の原本である。日本軍の負傷兵治療、強奪、慰安所の建設、日本軍が中国の守備軍に粘り強く抵抗されたことなどの重要な内容が含まれている。特に1938年1月1日、日本軍が南京に慰安所を設立したことを記録されている。新井淳はこの日の日記に「今日から慰安所が開設された。1人30分、費用は下士官150銭(1.5円)、兵士100銭(1円)。かなりにぎやかで満員状態が続いている」と記した。これは現在発見された「慰安婦」制度が正式に確立された後、日本軍が南京に慰安所を開設した最初の記録である。
侵華日本軍兵士新井淳『陣中日誌』1938年1月1日の記録
南京医科大学教授で日本侵華史研究専門家の孟国祥氏は次のように紹介した。「慰安婦」制度は日本軍の大規模な性暴力犯罪で、日本政府と国家の制度行為であり、人道への踏みにじり、文明への冒涜であり、国際社会に軽蔑されている。「慰安婦」問題は、日本が戦争の侵略的性質と未来に対応するための十分な誠意と努力を持っているかどうかの試金石となっている。この問題に対して日本の右翼は強く否定し、日本政府は曖昧な態度を取っているが、私たちが今回発見した『陣中日誌』などの資料はそれに対する最も有力な反撃である。戦時中に日本軍が各種のルートを通じて南京に多くの慰安所を開設したが、それが文字で記載されたのは上村利道の日記で、その中に「1937年12月28日、軍の違法な規律違反事件が増加したため、参謀部第2課は各隊将校会議を招集して、参謀長は軍紀を強調し、第2課が提案した南京慰安所設立に関する提案を審議、採択した」と記されている。
孟教授は、南京慰安所については私たちは、主に被害者の思い出、日本側の文献資料および日本研究者の成果に頼っているが、この『陣中日誌』は南京に慰安所を設立する正確な時間と運営状況を記載していることから、日本軍の南京における「慰安婦」制度の実施についての研究を推進するのに非常に有益であると述べた。
日本軍が細菌戦を実施した最新の罪証公表
今回、大東仁氏は記念館に日本軍の「栄第1644部隊」に関する写真を60枚以上募集した。日本軍が南京を占領した後、1939年4月元の「中央病院」(現在の東部戦区総病院)の旧跡に設立された「多摩部隊」とも呼ばれる「栄第1644部隊」は日本軍の「華中防疫給水部」と名乗っているが、実質的には大規模な細菌戦と毒ガス戦の研究実験に従事する機関である。60枚の写真のうちの4枚は南京で「変装デモ」のようなイベントを開催したもので、写真には「栄第1644部隊」の文字がはっきりと表示されており、他の4枚は南京の駐屯地建物、駐屯地建物前の日本軍の記念撮影、「多摩部隊」創立1周年演芸会などの内容が反映されている。
日本軍「栄第1644部隊」南京で「変装デモ」のようなイベントを開催した写真
写真には「栄第1644部隊」の文字がはっきりと表示されている
孟国祥氏によると、南京の「栄第1644」部隊は「731」部隊と同様に悪名が高いが、これらの細菌戦実験は極めて秘密にされ、また後期に関連資料が日本軍に処分されたため、私たちが把握している資料は少なく、写真はなおさら稀だ。この写真はこれまで見られなかったもので、この方面の空白を埋めたと言える。それは嘗て南京で発見された日本軍「栄第1644」部隊の細菌実験被害者の頭蓋骨の実物とが相まって実証され、この特定課題の研究の深化と細分化に役立つだろう。紹介によると、1998年12月、現在の東部戦区総病院近くの工事現場で発見された頭蓋骨は、複数の専門考証による鑑定により、侵華日本軍「栄第1644部隊」の細菌実験被害者の41体の頭蓋骨であることが確認されたという。
日本軍の侵華作戦の再現
日本軍第9師団歩兵第36連隊は南京を侵略占領し、南京大虐殺を実施した日本軍の主要部隊の一つである。同連隊は1937年12月9日未明、南京光華門の外に迫り、そしてここから攻撃を開始した。激しい戦闘と争奪戦を繰り返した後、13日午前5時に光化門を占領した。その後、南京城内と光化門の外で「掃討」を行い、武器を捨てた中国軍人と軍人に疑われる一般庶民を捜索、虐殺して、所属将兵は女性を強姦し、財貨を強奪し、放火して都市建築物を破壊し、南京で大量の犯罪を犯した。
1936年3月30日から1937年4月30日までの『陣中日誌』
今回募集した史料の中に、同じ第36連隊の第11中隊が1936年3月30日から1937年4月30日まで偽満州延寿県などの地区で中国抗日武装と作戦し警備した記録も含まれている。記念館が昨年募集した1937年10月から1938年6月までの『陣中日誌』とは、同じ部隊の異なる時間帯の日本軍の文書記録である。
孟国祥氏は、「この中隊は南京攻撃と大虐殺を行う主要部隊の一つであり、1937年以前に東北で中国の抗日武装勢力を『掃討』する行動にも参加した。今回募集した『陣中日誌』は日本の末端軍隊の活動と発展に関する研究を細分化させ、日本の中国侵略戦争史を全体的に把握するために比較的はっきりした脈絡を提供してくれて、重要な学術研究価値を持っている」と述べた。
日本の軍国主義教育推進の証拠を公表
今回、大東仁氏は1942年に日本が発行した「『南京陥落』児童教育演劇カード」を記念館に募集してくれた。これは日本政府が国民に軍国主義教育を推進する有力な証拠である。演劇カードの表には前線での戦場作戦、南京陥落の祝い、南京入城式などの場面の絵本、裏には台本の紹介がある。この演劇カードは児童教育読み物として、日本大東亜文化演劇社で公開発行されていた。
「南京陥落」児童教育演劇カード
また、南京の民間コレクターの唐恺氏も記念館に、1938年に編纂・出版された「首都陥落記念帳」や、1938年1月6日に南京防衛戦の文章「敵が南京に侵入した後の大打撃」を掲載した中国側の新聞『天文台』などの文化財史料を募集してくれた。