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  今日午前、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館は分館である南京利済巷慰安所旧跡陳列館で「中国‘慰安婦’による永遠の証言」プロジェクトのオンライン及び「‘慰安婦’力の柱」彫像の寄贈式を行った。

  今回南京に定住した「慰安婦」彫像の名前は「‘慰安婦’力の柱」で、2017年9月22日に米国サンフランシスコの聖メアリー広場に設置された「慰安婦」をテーマにした像を原型にし、1:3の割合で復刻されたものである。

  彫像の寄贈者である米国「慰安婦」正義連盟は2015年に設立されて以来、第2次世界大戦中に日本軍による性暴力を受けた女性を記念するために、多くの効果的な仕事をしてきた。同正義連盟連合創会会長で米連邦裁判所の元判事だった郭麗蓮氏は鄧孟詩氏とともに現場に臨み除幕式に参加した。

  郭麗蓮氏によると、当時、聖メアリー広場の「慰安婦」像の除幕式は米国の「慰安婦」正義連盟が主導したものであるという。「‘慰安婦’彫像の老人の原型は、日本軍の‘慰安婦’制度の暗い歴史を初の実名で公開した韓国籍被害者の金学順氏です。3人の少女はそれぞれ中国、韓国、フィリピンの被害女性を代表して、背中を合わせ、手を取り合い、表情を凝らして前を見ています。彫像の隣の記念碑には、‘第二次世界大戦の開始前と開始後に日本軍に奴隷化された13の国と地域の数万人の女性が経験した苦しみを証言する’と書いてあります」。

  郭麗蓮氏は、「私たちは平和がほしいです、戦争をさせないようにしなければならないです。日本はいまだに「慰安婦」問題について謝罪していないのです。世界中の若者に南京に来て、痛ましい歴史を銘記し、美しく新しい南京を見てほしいです。私たちは次の世代を教育して、みんなで手を携えて世界の平和と正義を守るために努力しなければなりません」と述べた。 

  鄧孟詩氏は、「日本は謝罪しない、過ちを認めない限り、私たちは立ち上がって抗争しなければなりません。私たちの共通の目標は女性に対する性暴力をなくし、世界平和を促進することです」と述べた。


米連邦裁判所元判事で、米「慰安婦」正義連盟連合創会会長の郭麗蓮氏(左)、鄧孟詩氏

  「世界抗日戦争史実維持連合会」の張藍真会長は、「これは第二次世界大戦の歴史史実を守るための重要な一ページです。私たちは長い間待ち望んでいました。サンフランシスコに「慰安婦」記念碑を建てたり、毎年サンフランシスコで「南京祭」を開催したりするなどのことは、西洋社会や華人子孫にこの歴史を理解させ、被害者の正義獲得を推進するためです。歴史を直視してこそ、歴史の過ちを繰り返さないことにつながるのです。」と述べた。

「世界抗日戦争史実維持連合会」の張藍真会長

  「慰安婦」賠償請求及び教育行動組織のキム・フィリス執行会長は、「日本政府が過去の戦争犯罪を抹消し、粉飾する努力を急いでいるため、被害者の声と経歴を守ることがますます重要になっていることは私たち全員がよく知っているのです。」と語っている。

「慰安婦」賠償請求及び教育行動組織執行会長のキム・フィリス氏

  上海師範大学教授で中国「慰安婦」問題研究センター主任の蘇智良教授は、新たに寄贈された彫像は、歴史史実を再確立し固化して、歴史修正主義と闘い、世界中の人々に歴史を忘れず、平和を大切にするようと呼びかけるとともに、「慰安婦」少女像の国際的な応援行動に力強く応えていると指摘している。

蘇智良教授

  日本軍の「慰安婦」制度問題は1990年代初めから被害生存者の勇敢な暴露で徐々に浮上し、急速に世界の注目を集め、その後、中国、韓国、米国などの国に複数の「慰安婦」彫像が落成した。これに先立ち、南京利済巷慰安所旧跡陳列館内広場には、日本軍「慰安婦」制度被害生存者の朴永心氏らの古い写真をモチーフにした「慰安婦」をテーマにした彫像があった。

  除幕式後、人々は「慰安婦」像に菊花を献上した。

  この日、陳列館にオンライン化された「永遠の証言」システムは、日本軍「慰安婦」制度の被害生存者である彭竹英氏の口述証言を完全に記録し、米南カリフォルニア大学浩劫史基金会が技術支援を提供した3次元立体質疑応答モデルを通じて、観客は彭竹英氏と対面して「対話」し、日本軍「慰安婦」制度被害生存者の被害史実を生々しく直接感知することができるようになっている。

  彭竹英氏は1929年7月に湖南省岳陽市に生まれた。1938年、その故郷は日本軍によって侵入され、毒ガス爆撃が行われたため、彭竹英さんの母と弟が亡くなり、9歳だった彼女は目を失い失明してしまった。1944年、わずか15歳の彭竹英氏が日本軍に連行され、1カ月にわたって拘禁され、日本軍が現地から撤退するまで脱出できなかった。監禁されている間、彼女は日本軍に性暴力されたり、いじめられ、殴られたりして心身ともひどく傷つけられ、出産能力も失われ、生涯苦しんだ。2018年7月19日、記念館及び分館の南京利済巷慰安所旧跡陳列館のスタッフが湖南岳陽を訪れたおかげで、彭竹英氏はついに勇気を出して80年間の心の中に埋もれていた苦痛の経歴を公開した。

日本軍「慰安婦」制度被害生存者の彭竹英氏

  高齢のため、彭竹英氏は今日現場に来れなかったが、ボランティアから送られた動画を通じて「世界が平和であり、戦争がないことを願っている」と伝えてくれた。

  一体の彫像は固体化した歴史であり、「永遠の証言」であるともいえるだろう。「慰安婦」像の国際的な支援行動は世界各国で広く展開されており、すでに80を超える様々な「慰安婦」テーマの彫像が落成している。記念館が寄贈彫像を受けたことは、この支援行動に対しての積極的主導的な応えであり、「慰安婦」問題の国際交流を力強く強化することになるのではないかと思われる。「永遠の証言」プロジェクトは科学技術を通じて、「慰安婦」制度の加害史実を視聴者に共感してもらい、歴史の真相を掘り起こして記録するのは同じ歴史を繰り返させないためである。

南京日報記者の孫中元撮影

  南京利済巷慰安所旧跡陳列館は南京市秦淮区利済巷2~18号にある。1937年12月、日本軍が南京を占領した後、利済巷2号を「東雲慰安所」、利済巷18号を「故郷楼慰安所」に改造した。これは日本軍「慰安婦」制度被害生存者が証言した中国大陸有数の慰安所所在地であり、これまでアジア最大規模の侵華日軍慰安所旧跡でもあり、2019年には第8陣の全国重点文化財保護地に指定されている。2015年12月1日に開館して以来、陳列館は在世中の「慰安婦」制度被害生存者150人余りを支援し、新たに30人近くの被害者を確認した。「慰安婦」関連の所蔵品資料の募集を続け、国内外の学術会議に何度も参加し、国際交流と歴史研究を強化することに力を入れてきた。

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