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  1938年2月21日南京安全区国際委員会主席のジョン・ラーベ氏は告別スピーチで西洋人と肩を並べて戦った中国人を高く評価した。「我々外国人が今一定の成績を収めたと言うならば、それは多くの忠実で友好的に助けてくれた我々の中国人友達のおかげです。委員会の各部門の実際の仕事は全て中国人がやっています。彼らが我々よりもっと大きな危険を冒して働いていることを正直に認めなければなりません……」

  5月、記念館は同時に「中国人同胞が助け合う」という人物シリーズ特集の第1話『韓湘琳:‘南京を離れる?良心が許さない!’』を出した。英語、ドイツ語、フランス語を精通する韓湘琳氏はジョン・ラーベ氏の中国語秘書であった。86年前、南京が危機に陥った時ラーベ氏の南京を離れろというアドバイスに対して彼は毅然として留まることを選んだ。後にシーメンス会社難民収容所の所長、国際安全区食糧委員会の主任になった韓湘琳氏はラーベ氏を協力してたくさんの難民を守った。4月下旬、記念館副館長の凌曦氏がチームを率いて上海へ赴き、韓湘琳氏の娘さんの韓雲慧さんを訪ね、その父親の思い出話を聞くことにした。

ラーベと韓湘琳(右)シーメンス会社南京事務所の前にて

記念館副館長の凌曦さんが韓湘琳氏の娘さんの韓雲慧さん(左)を訪ねる

  特集の報道が出された後、「黄海波」という名前のネットユーザーは「自分の安全を顧みず立ち上がって難民を救助する人たちは偉大で高尚です!」というメッセージを記入した。

  このシリーズは次に陳文書、陳斐然、姜正雲、斎兆昌、王耀廷、程瑞芳、陳嵘などの中国人同胞が86年前に互いに守り助け合ったことを発表する。

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