12.13キロ徒歩して南京大虐殺遇難同胞の 集団虐殺地を訪ねる
4月2日の午前、「犠牲者を偲んで、平和を祈るーー2023年‘清明節追悼式’南京大虐殺受難同胞集団虐殺地への徒歩活動」は南京で行われた。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞の集団虐殺地へ徒歩して訪ねてきた200人余りの国内外の方々は記念碑の前で献花、読書会、感動を共有するなどの活動をして、亡くなった人を偲び、平和を祈願した。
南京に南京大虐殺遇難同胞集団虐殺地が17箇所ある。今度徒歩して訪ねる長江沿岸の集団虐殺地は3箇所で、中山埠頭遇難同胞記念碑から出発して、草靴峽遇難同胞記念碑を経由し、燕子磯江灘遇難同胞記念碑まで辿り着く。全長は12.13キロで、南京大虐殺の発生の期日1937年12月13日を象徴している。午前、8時30分に、徒歩活動の起動儀式は中山埠頭の川辺で行われた。南京大虐殺期間中国際安全区に避難した1万人以上の青壮年難民は日本軍に殺害された。
垂直の岩壁がそそり立つ幕府山の麓に整然とした翠柏に囲まれた小さな広場の中央に記念碑が空に聳えており、その上に「侵華日軍南京大虐殺草靴峽遇難同胞記念碑」という大きな文字が刻まれている。ここで遇難した同胞は総数五万七千人余りに達している。午前10時頃徒歩陣はここに到着してから、みんな記念碑を1周り回り、白菊を献上して、追悼の気持ちを表した。
その後、長江辺で行われ南京外国語学校の教師尚媛媛先生が司会した読書会で、尚媛媛先生は英語と中国語で学生やボランティアに張純如氏のことを話した。「張純如さんは南京に来てから、中山埠頭、草靴峽、燕子磯などの所まで訪ねてきて、歴史の真相を探り求めました。彼女は生前、‘一人の人の力’を確信して、歴史に直面し、正義と平和を追求しました。みなさんにも‘一人の人の力’を固く信じて彼女のように歴史の良心を持つ闘士になってほしいです。」と尚媛媛先生が言った。
午前11時30分、徒歩方陣は侵華日軍南京大虐殺燕子磯江灘の遇難同胞記念碑に来た。南京大虐殺期間中、ここは日本軍の南京における主な集団虐殺地の一つで、川を渡れなかった難民と武装が解除された中国人兵士が合計五万人余り遇難した。記念碑の前でみんな黙祷して亡くなった人を偲んだ。
86年前、南京大虐殺生存者の阮定東氏はここで幸いに生き残った。当時、その祖父は日本軍に刺されて重傷になったが、激痛を我慢しまだ赤ちゃんの阮定東氏を抱きしめて、必死に小さな船に登り、川を渡ってからとうとう支えられずに川辺に倒れた。活動のこの日に、最初の「南京大虐殺歴史記憶伝承者」である阮定東氏の娘さんの阮紅燕さんは徒歩活動に参加し記念碑の前で、みんなに先代の燕子磯江灘での悲惨な遭遇を述べた。
歳月が移り変わり、長江辺の戦争の硝煙はすでに遠のいた。現在面目を一新した南京の長江沿岸は活気に溢れ、中山埠頭、草靴峽、燕子磯はその代表的な景観地の一つになっている。徒歩する途中、みんなで長江の美しさを楽しみ、都市の現代的な雰囲気を感じていた。