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  4月26日の午前、アメリカ在住の華人魯照寧氏が記念館に来られ、収集した日本軍軍人手牒や日本軍の犯行記事を掲載したアメリカ『ニューヨークタイムズ』などの98件(組)の海外文物史料を記念館に寄贈された。

 一冊の軍人手牒:加害者からの罪証

 軍人手牒は軍人の身分証明書である。今回寄贈された手牒は侵華日本軍第六師団歩兵第四十五連隊歩兵の砲隊伍長の福島正久の所有したもので、1937年1月10日に徴兵入隊から1941年1月9日に退役までの彼の履歴を詳しく記載されている。その期間中、彼は相次いで保定、石家荘、上海、南京、広徳、芜湖、武漢、宜昌などの所を侵占する作戦に参加したことがある。1937年11月19日に上海に上陸、11月19日―12月14日に南京を侵占する戦闘に参加、12月15日―21日に南京付近で警備を務めたと記録されている。

 史料の記載によると、日本歩兵第四十五連隊は谷寿夫を師団長とする日本軍第六師団に所属し、南京を侵占し大虐殺を実施した日本軍の主な部隊の一つだということである。記念館所蔵の日本軍『歩兵第四十五連隊史』の記載では、1937年12月10日の後、それが水西門を侵占する戦闘に参与し同時に南京城南地区の大虐殺にも参与した。江蘇省社会科学院歴史研究所研究員の王衛星氏は日本歩兵第四十五連隊は南京を侵撃し南京大虐殺に参与した部隊の一つであると指摘している。日本軍の南京での暴行を証明するこの手牒は重要な史料価値と展示価値を持っている。 

 三名の外国人記者:一番最初に南京大虐殺の残虐真相を暴いた人

 1937年、最後の撤退のチャンスを放棄し、躊躇なく南京城内の戦地報道者になった五名の勇敢な西方の記者がいる。それはアメリカの『シカゴ毎日新聞』の記者アチェボダ・スディーア、アメリカの『ニューヨークタイムズ』の記者フランク・ダディン、アメリカパラモント映画社の記者アサー・モンケン、アメリカ連合通信社の記者チャールズ・マイコデン二アル、イギリスロイター通信社の記者レスリ・スミスである。命の危険を冒して南京に留まったこの五名の記者は南京大虐殺の惨事を目撃し、一番最初に世界に南京大虐殺の残虐の真相を報道した。

 今回寄贈された文物史料の中には、上海発行の英文新聞『大陸報』(The China Press)に掲載された、1937年10月10日に「日本による南京爆撃を記録する外国人カメラマン」という内容の写真がある。外国人カメラマンたちは南京城城壁の上でカメラやビデオカメラで日本軍の飛行機が南京を爆撃するのを撮影しているところの場面である。写真説明はアメリカパラモント映画社記者のアサー・モンケンが撮影に参与したことを明らかに示している。史料によると、アサー・モンケンがアメリカ軍の砲艦「ワフー」号に南京大虐殺の暴行に関する報道を出し、それが後に1937年12月16日の『シアトル毎日時報』にも載せられたという。

 『大陸報』の同じ面にアメリカ『ニューヨークタイムズ』の記者フランク・ダディンとアメリカ連合通信社の記者チャールズ・マイコデン二アルが映っている写真もある。史料の記載によると、フランク・ダディンは1937年12月18日にアメリカ『ニューヨークタイムズ』に掲載された報道で「大規模な強奪をし、女性を侵害し、庶民を殺害し、中国人をその家から追い出し、捕虜を大規模に処刑し、健康な体格の男を捜索し、南京を恐怖の都市に変えた」「日本軍は中国人民に日本に抵抗することは恐ろしい結果をもたらすという深い印象を与えるために恐怖をできるだけ長く維持させたいようだ」と描写したということである。マイコデン二アルの日記も1937年12月17日の『シアトル毎日時報』に載せられ、「12月14日に、日本軍が町中を強盗しているのを見た……12月15日……南京に対する記憶は死んだ中国人だ、死んだ中国人だ、死んだ中国人だ」。

 王衛星氏は、数年来南京大虐殺に関する史料の収集と研究に伴い、これらの記者の個人情報、特に南京での正義行動がますます世間に知られるようになった。今回の発見は彼らの南京における映像資料を更に豊かにさせたと指摘している。

 七枚の録音ディスク:歴史記憶の国際世界への広まり

 1997年、張純如の著作『南京大惨事:第二次世界大戦で忘れられた大虐殺』という本が出版された。出版するとすぐにアメリカで大きな反響を引き起こし、3ヶ月連続で『ニューヨークタイムズ』のベストセラーランキングにランクインした。魯照寧氏が今回持ってきたワンセット7枚のディスクはこの本のオーディオバージョンであり、アメリカ黒石映像株式会社の発売で、各ディスクに20個ほどのオーディオがあって、読むのに不便な人、特に視覚障害者のために作られた音声電子書籍である。

 魯照寧氏は、これらのディスクは張純如さんの著作が国際社会での広範な影響力も、この形式を通じて南京大虐殺の歴史記憶をより広く広めたことを更に証明したと述べた。

 江蘇省行政学院の教授楊夏鳴先生は張純如に付き添って南京で生存者を訪ねたことがある。彼は、『南京大惨事:第二次世界大戦で忘れられた大虐殺』のオーディオバージョンはより多くの視覚障害者に南京大虐殺の真相を理解してもらうことは本当に意義があると述べた。

 数部の西方新聞:日本軍が中国で犯した侵略暴行を暴露

 魯照寧氏は今回数冊の英文書籍や画報、新聞などを寄贈した。その中で1938年1月25日にアメリカで発行した『ニューヨークタイムズ』が最も重要である。その新聞の一面には日本軍が南京を占領した後に関する「混乱が南京で続いている」というタイトルの報道が掲載されている。「日本軍が占領した南京は依然として秩序がない。外交官以外の一般外国人が南京に入ることは許されない。日本側は暴行した部隊を南京から転出すると約束したが、女性を強姦したりその他の犯罪も引き続き発生したりしている」と報道している。

 楊夏鳴氏は、『ニューヨークタイムズ』は西方では日本軍の南京での暴行を最も多く報道した新聞であり、その中で特に1937年12月18日、1938年1月9日と1月25日の報道は一面に載せられたのだ。従来『南京大虐殺史料集』の翻訳した『ニューヨークタイムズ』は古い新聞資料のデータベースに基づいて検索したPDFバージョンだったが、今回収集した1月25日のそれがオリジナルで、記念館にとって、非常に重要な文物価値と展示価値があると指摘している。

 魯照寧氏は、発行時間の1937年10月16日、10月20日、10月23日、10月26日の上海発行の4枚の英文新聞『大美晩報』を寄贈された。それらには、淞滬庫会戦で日本軍の上海攻撃による家屋の破損、人の死傷シーンと双方の激戦の写真が数多く掲載されている。

 寄贈された史料の中には、発行時間は1937年9月11日と1939年7月29日で日本軍の飛行機が上海南京路を爆撃し中国人警察が廃墟の中で屍体を探す状況を記録したフランスの『戦争図解』という画報が2部ある。

 寄贈式で、魯照寧氏は「南京大虐殺の惨めな歴史は過去になりましたが、我々中国人は永遠に忘れられません!私は南京で生まれて、私の根はここにあります。自分の祖国のために故郷のためになにかをする責任があります。この忘れられぬ歴史記憶のために引き続き史料を収集し寄贈します。この私には、寄贈の終点はありません」と示した。

 南京市共産党委員会宣伝部副部長、記念館館長の周峰氏は「南京大虐殺は人類の悲惨な歴史です。数多くの国際友人や華人華僑がこの歴史的記憶を共に守るために長年海外を走り回り、記念館のために大量の文物史料を集めました。南京で生まれた魯照寧さんはさらにこのことを自分の責任とされていて、海外にいながらも、二十年も一日のように2004年からずっと記念館のために海外で文物史料を集めてきまして、今までのその数はもう2300件(組)に達しております。記念館は魯さんの16回目の寄贈のためにわざわざお越しいただいたことを感謝します。そして、これらの貴重な文物史料をきちんと保管し、十分に利用したいと存じます」と述べた。


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