星雲大師が他界、南京大虐殺の証人
2月5日の午後、中国台湾の仏光山星雲大師が安らかに永遠の眠りにつき、96年の人生を終えた。
星雲大師の肖像 李自健1992年作
星雲大師、元の名前は李国深で、1927年に中国の江蘇省江都県に生まれた。1937年の年末、父親の李成保氏は南京で商売をやっていたが南京陥落後消息が途絶えた。1938年、母親について南京まで父親を探しに来て、南京大虐殺の悲惨な情景を目の当たりに見た。「川の中にいる人は頭は下向き、足は上向きの様子、いたるところに人の死体、血水が川底の木の葉や泥水に浸透している、などなど、この目ではっきり見ました。路上にある死体は犬に胸を食われ四肢しか残っていないのも見ました。このような例は枚挙にいとまがないです」と星雲大師が生前こう言っており、1937年侵華日本軍に引き起こされた南京大虐殺は「人間世界の地獄」と形容していた。父親を探し回ったが結果がなかったため、後に南京栖霞寺に出家して和尚になった。
星雲大師は南京大虐殺を歴史記憶にとどめることを志した。生前わざわざアメリカ在住の華人画家の李自健氏を招き、南京大虐殺のために『屠・生・佛――南京大虐殺』という警世の作を作ってもらい、世界のより多くの人々に人類のこの悲惨事を知ってほしいと思っていた。
《屠·生·佛——南京大虐殺》
この油絵は幅3.2メートル、高さ2.1メートルで、「屠」「生」「佛」の三聯からなっている。左の聯:二人の日本軍が首切りを競い合った後刀を拭きながらにたにた笑っている;中聯:金字塔のように積み重ねられた死体の中で母親の血だまりから這い上がった幼い子供が蒼い空に向かって泣きわめいている;右聯:一人の仏家弟子が惨死した老人を持ち上げようとしている。絵の主体は山のように積み重ねられた死体で、構図が「山」の形である。それには南京大虐殺の暴行は山のように動かぬ鉄証だという寓意が込められている。死体山の後ろはとどまることなく流れる長江である。
1992年から、油絵の『屠·生·佛——南京大虐殺』は公益巡回展が始まった。ドイツ、イギリス、フランス、オーストラリア、南アフリカ、ブラジル、カナダ、シンガポール、マレーシア、タイなど、全世界六大洲の三十数カ国及び地域にその足跡が残されている。
2020年12月13日、星雲大師は李自健氏と一同に南京に来られ、この歴史的巨作を記念館に贈ってくれた。2015年にこの絵は中国抗日戦争類の国家一級文化財と評定された。現在記念館に永久に保存され、長期的に『南京大虐殺史実展』において陳列される。