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  12月12日、日本軍「慰安婦」制度被害者の方巧梅氏が湖南省平江で逝去された。101歳であった。

  方巧梅氏は、1921年4月生まれである。1939年のある日、当時18歳だった彼女は、息子を出産したばかりだった。日本軍は漢奸の案内の元、江西省修水から現在の平江県龍門町泉水村に侵入した。当時は昼食の時間で、方巧梅氏一家はご飯を炊いたばかりで、まだ食べていなかった。日本軍は、彼女に彼らについて「会議」に行くように呼び出した。孫がまだ満月にもなっていないから、義父がそれを阻止しようとしたが、日本軍は方巧梅氏の叔父を銃剣で残酷に刺した。日本軍は彼女の家で飼っていた豚を殺し、ご飯を食べ、他の物資も奪って、方巧梅氏を連行した。出発間際、日本軍は隣の家に火をつけた。8日後、方巧梅は家に帰ったが、生まれて間もない彼女の息子は乳がなくて飢え死にしていた。それ以来、方巧梅氏は出産能力を失い、その後養子をもらった。方巧梅氏は年を取った後、日常生活は養子夫婦に丹念に世話をしてもらっていた。

  今年5月、記念館のスタッフが湖南平江に見舞いに行った。12月12日に方巧梅氏の家族から、方巧梅氏がその朝、自宅で安らかにこの世を去ったという消息を受けた。

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