荘厳な記念により記憶を呼び覚ます
12月13日夕方6時30分、記念館祭場内でトランペット演奏者が「南京の記憶」を演奏した。犠牲者名簿の壁には、犠牲者の名前が明るく浮かび上がり、また暗くなった。20人の学生がロウソクを手にして、「85」の数字の形に並べられたロウソクを囲むようにロウソクを並べた。今年は南京大虐殺が発生してから85周年にあたるため、「85」本のロウソクの造形は、85年前の痛ましい歴史を銘記することを意味している。
会場で儀式に参加した人々は、南京大虐殺生存者の子孫、教師、医者、看護婦、基層党員、紫金草芸術団童声合唱団の子供、紫金草ボランティア、華僑、宗教界などの代表者である。記念館の周峰館長が講演を発表した。「厳粛な記念は、記憶の呼び覚ましでもある。今夜、私たちはロウソクを手にして、心を温めるだけでなく、歴史の真実を守り、正義と平和を守る精神的なトーチに火をつけ、平和的に発展し、共に繁栄するという人間の正道を照らすためでもある」と発言した。
85年前、南京が暗黒に陥った際、国際友人のジョン・マギー氏は、個人の安否を顧みず南京に留まり、20万人以上の中国難民を救護した。彼はこっそり16ミリカメラで日本軍の暴行を撮影し、それは日本軍の犯した南京大虐殺の動かぬ証拠となった。その夜、ジョン・マギー氏の孫のクリス・マギー氏は、会場のスクリーンの大画面に現れ、オンラインで南京大虐殺犠牲者への哀悼の意を表した。
日本神戸南京心連心会代表の宮内陽子氏は、中日友好を促進するために20年以上にわたり、メンバーと一緒に記念館の活動に参加してきた。彼女は今年は、オンラインでロウソク祭に参加した。
1938年2月、南京城はいたるところ破壊しつくされた。米国からのリチャード・ブレイディ医師は、鼓楼病院で負傷した難民を積極的に救済した。数年後、曽祖父の事跡に励まされた曽孫娘のメーガン・ブレイディ氏は、「身に覚えがある」という歌を創作した。その夜、ロウソク祭・国際平和集会では、メーガン・ブレイディ氏もオンラインで参加し、彼女は自分の心は永遠に南京の市民と一緒にいると話した。
25年前、アメリカ中国系作家の張純如氏が、命をかけて『南京大虐殺』を書き、第二次世界大戦中に日本軍が南京で犯した暴行を暴露し、西欧諸国において大きな反響を呼んだ。張純如氏がこの世を去った後、彼女の両親は娘の未完成の事業を続けている。アメリカにいる張純如氏の母親の張盈盈女史は、オンラインでロウソク祭に参加した。