お問合せ先 | 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館

検索フォーム

  実は、この歴史は一城一地の苦難だけではなく、私たちの過去、未来につながっている。ここには中国人はいかに苦しい過去から今日まで来たのか、また、現在から未来に向かう前向きな姿が記録されている。

  南京大虐殺が発生してから85周年にあたり、記念館は「私と南京大虐殺の物語」シリーズの人物インタビューを発表した。今回の通信が完成するまでに、インタビューの第一、第二話が放送された。

  第一話は南京出身の作家で、南京市長江路小学校の英語教師である楊篠艶さんが、南京大虐殺を題材とした児童小説『いばらの中のほほえみ』に書いた物語である。これは、母方の祖父母、また面識のない叔父の変えられた人生について書かれた物語である。 

 

  1937年8月、日本軍の飛行機は南京を空襲した。楊篠艶さんの祖父は祖母を連れて、店を閉めて家に鍵をかけ、荷物を持って南京から重慶に逃げることにした。そして、1941年6月5日、日本軍は重慶に大爆撃を行った。楊篠艶さんの二人の叔父は、「六五・重慶トンネル大惨事」により、踏みつけられて亡くなった。

  1945年8月15日、日本は無条件降伏を宣言した。1945年の年末、楊篠艶さんの祖父母は南京に帰ってきた。

  新中国が成立してから、楊さん一家の生活はだんだん良くなってきた。「戦争が始まる前に、祖父と祖母はとても豊かな生活を送っていました。結婚写真の祖母は、当時の最新のヘアスタイルをしていて、肌が真っ白だった。祖父は目鼻立ちがはっきりしている若者で、長いシャツを着て、中折帽をかぶっている。祖父は1991年に胃癌のため76歳で亡くなり、祖母は2005年に亡くなった」と楊篠艶さんは紹介した。

  楊篠艶さんは、息子が小学校五年生から六年生になる時、彼を塾へ勉強に行かせた。その塾は、南京市鼓楼区のある都市書斎の半地下室にあった。彼女はそこで「南京大虐殺の歴史」を収録した『風土志』を見つけた。彼女は、南京大虐殺生存者が歴史を口述した『変えられた人生』を読んで、非常に衝撃を受けた。祖父や祖母の体験を思い、何か書こうと考え始めた。

  「何がしなければなりませんね。例え本を読むだけでもいいです。文字関係の仕事に勤める者として、子孫に読み継がせられる本を作らなければならないと思います。」その決心で、楊篠艶さんは記念館を何度も訪問し、多くの歴史資料を探し、6年間の文献研究を経て、2020年に『いばらの中のほほえみ』というシリーズの叢書を出版した。また、楊さんは記念館が、2017年12月13日に公式ウェイボーで発表したポスターからインスピレーションを得て、南京大虐殺を題材とした児童小説『寧生』を創作した。その作品は現在修正中であるが、今年の国家追悼式の前には出版される予定である。

  第二話は、南京大学出版社学術分社の楊金栄社長が十数年にわたり、海外において『南京大虐殺史』を多言語で出版した物語である。彼の努力により、『南京大虐殺史』は英語、韓国語、カザフ語、ヘブライ語、ヒンディー語、ポーランド語に翻訳され、海外で発行され、西洋社会に第二次世界大戦での日本軍南京大虐殺の歴史の真相を理解させた。

  今年、記念館と協力した『南京大虐殺史』のスペイン語、タイ語版が国家公祭日より前に出版される予定である。また、現在翻訳中なのは、アラビア語、ロシア語、アルバニア語版などである。                      

  また、楊金栄さんは今年、ドイツ語版の翻訳に取り組む。彼は、2015年10月に『南京大虐殺文書』がユネスコの「世界記憶遺産」に選ばれてから、より多くの海外の人々が中国に注目し、中国の歴史を理解し始めたと述べた。『南京大虐殺史』はより多くの注目を集めてきた。楊さんはこれからも引き続き研究チームを率いて、一歩一歩着実に進んでいくと話している。

楊金栄氏(右から二人目)

エジプト・カイロで『南京大虐殺史』アラビア語版の出版契約を締結した

上列左から: ヒンディー語、ヘブライ語、ポーランド語

下列左から:韓国語、カザフ語、英語

お問合せ先 | 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館