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  5月下旬、記念館分館である南京利済巷慰安所跡陳列館のスタッフが、中国湖南省で日本軍「慰安婦」制度の被害者3名を新たに確認した彼女らは101歳の方氏、95歳の氏、91歳の沈氏である(家族の希望によって、被害者たちの詳細な個人情報を公開とする)。日本軍が湖南省に侵入した彼女らは「慰安婦」として日本軍に強制連行され。その後、方氏と欧氏は妊娠できず、沈氏は未婚のままになっている

  方氏は、1921年に中国湖南平江県に生まれた。1939年のある日、日本軍は江西省の修水方向から、彼女が住んでいた村に侵入した。当時、方氏は18歳になったばかりで、家には舅、姑、夫の弟一家、そして彼女の3人家族の計7人がいた。日本軍は彼女に「会議」に行くように指定した。その時、彼女は子供を出産して一ヵ月にもなっていなく、子供は飢えに泣き叫んでいた。舅が日本軍を阻止しようとするが、日本軍は銃剣で方氏の夫の弟を惨殺した。日本軍は彼女の家の豚を殺して食べ、他の物資を奪って、方氏を捕まえていった。8日間の後、彼女はやっと家に帰られるようになった。しかし、産褥中の子供は乳がなくて飢え死にし、日本軍の暴行で、方氏は出産能力を失った。1954年、方氏夫婦は4歳の子供を養子にした。二年前、方氏は、高齢のため転んで入院し、昨年は脳卒中で半身不随になった。現在、方氏は、平日は車椅子を利用し、養子夫婦に日常生活の面倒を見てもらっている。

  欧氏は1927年8月生まれで、中国湖南平江県出身である。1941年10月、日本軍が欧氏のおばあさんの家のある村を通った。当時14歳の欧氏は耳が聞こえず、すぐに逃げられなかったため、不幸にも日本軍に連行され、性的暴行を加えられた。この経験のため、欧氏は早く結婚したが、出産できなかったため、離婚して再婚するしかなかった。親切にしてくれた二番目の夫は、兄の息子を養子にした。2003年、二番目の夫が亡くなり、欧氏は養子と一緒に暮らしている。彼女は現在、体の調子がよく、自分で野菜を作ったり、料理を作ったりすることを楽しんでいる。

  沈氏は1931年7月生まれで、中国湖南省長沙県出身である。1944年、日本軍は沈氏の家の近くの山奥に侵入し、地元の鍾馗廟を拠点にした。当時13歳でしかなかった沈氏は、牛が家の主要な経済源だったため、牛を連れて一緒に逃げたが、不幸にも途中で日本軍に遭遇した。日本軍が牛を略奪しようとしたが、彼女に拒まれたので、平手打ちをし、彼女と牛をみな鍾馗廟へ捕まえていった。日本軍が撤退した後、沈氏は家族に発見され、家に帰った。その経験をした沈氏は、一生結婚しなかった。



左から:方氏、欧氏、沈氏


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