中国湖南省で日本軍「慰安婦」制度の被害者7名を新たに確認
2021年12月、記念館分館――南京利済巷慰安所旧跡陳列館のスタッフは、中国湖南省で日本軍「慰安婦」制度の被害者7人を新たに確認した。
昨年の10月と11月、記念館分館のスタッフ、地元のボランティアは、湖南省の岳陽市華容県、平江県、郷州嘉禾県で現地調査を2回行い、証言者20人以上を対象に撮影取材をした。その調査・作業を通じて、被害者たちの境遇を詳しく記録し、貴重な映像資料を形成し、日本軍の侵略暴行に動かぬ証拠を追加した。
雷金二氏は1925年7月生まれで、中国湖南省華容県の出身である。1943年5月のある日、日本軍が華容県に来た時、彼女は日本軍の拠点にとらえられ、毎日残酷な暴力を振るわれていた。十数日後、雷金二氏の父親は家財を売却し、維持会の力で彼女を救出した。
雷金二氏(身分証明書名は雷金安)
雷金蓮氏は、1930年3月に中国湖南省の華容県で生まれ、雷金二氏の妹である。1943年5月のある日、日本兵が何人か突然、雷金蓮氏の家に押し入った。怖がった雷金蓮氏は泣いているだけだった。日本兵は銃で彼女を威嚇して、拠点まで連行した。日本兵は彼女を茅葺の家に入れ、その入り口で見張っていた。それから、毎日日本兵たちの暴行が続いた。彼らは大声で或は銃剣で、雷金蓮氏に服を脱ぐことを脅迫した。半月後、父は家財を売却し、維持会の力で彼女を救出した。
雷金蓮氏
李秀青氏は1922年10月に生まれで、中国湖南省郷州嘉禾県石小村の出身である。1944年末のある日、日本軍が嘉禾県に来た。李秀青氏は、郷里数人と慌てて李家村へ避難する途中で日本軍に逮捕された。その日、彼女と他の女性は、坦坪鎮のある青レンガの家に閉じ込められ、日本軍に順番に強姦された。数日後、地元のゲリラによって救出された。
李秀青氏
易菊連氏は1936年9月生まれで、中国湖南長沙県金井鎮豊花村の出身である。1944年初夏、日本軍は最後の掃討を行った。易菊蓮氏は、草の畳を持って父と一緒に避難し、長沙県王板洞で日本軍部隊に遭遇した。当時10歳だった易菊蓮氏は、日本兵に連行され、道で強姦された。彼女は家から10キロ以上離れたところに連れていかれ、茅葺の家に閉じ込められた。日本軍は毎日、易菊連氏に暴力を振るっていた。易菊連氏は窓から飛び出して逃げた。
易菊連氏
李淑珍氏は1915年10月生まれで、中国湖南省平江県の出身である。1944年、日本軍は平江県に侵入した。最初の3回は、李淑珍氏と村人が山に身を隠したため、発見されなかった。4回目は、彼女は家にいて逃げられず、麓にある臨時拠点に追い込まれた。日本軍は彼女に性的な暴力を振るい、少しでも不満があれば殴り付けた。その後、李淑珍氏ほかの拠点に移され、数え切れない蹂躙をされた後捨てられた。幸いなことに、李淑珍氏は後に家族に助けられた。彼女は今年107歳で、これまで知られている「慰安婦」制度の最年長の被害者である。
李淑珍氏
姜氏(仮名)
ご本人の都合により、経歴を非公開にする
陽氏(仮名)
ご本人の都合により、経歴を非公開にする