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1937年、多くの勇敢な国際義士が命の危険を冒して立ち上がり、数え切れないほどの命を救った。84年後、この国際友人の子孫は依然として南京に心を寄せ、ろうそくを灯して死者を追悼した。ろうそくの光の中に、歴史を銘記し、平和を守るという彼らの決意と意志が見られる。

クリス・マギー氏(左)と彼の中国系養女

クリス・マギー氏は、南京大虐殺期間中の国際赤十字会南京支会主席で南京安全区国際委員会委員のジョン・マギー氏の孫である。彼は、「84年前、私の祖父は戦火中の南京に留まることにし、多くの中国人難民を助けた。彼は命の危険を冒して、カメラで南京大虐殺の映像を記録した。祖父が残した映像は、戦争の残酷さを理解する史料になった。また、彼の人道主義精神と恐れのない勇気も私たち家族を何世代も励ましてきた。不安定な時期でも、お互いに助け合うことを忘れず、永遠に平和を大切にしてほしい。」と述べた。

エリザベス・ウィルソン・ヒシン氏

マジョリー・ウィルソン・メッシ・グレイト氏

写真の中でろうそくを持っているのは、南京大虐殺期間中、鼓楼病院で唯一の外科医だったロバート・ウィルソン氏の娘たちである。娘のエリザベス・ウィルソン・ヒシン氏からメールが届いた。内容は以下の通りである。「私は記念館と南京の友達を心がけています。うちの家族は最近は幸せに暮らしています。南京の親愛なる友達もそうであってほしいです。アカディア病院メソジスト教会は、私の父を記念することに力を尽くしており、燭光祭の最も理想的な場所だと思います。国家公祭日に際して、相変わらず南京大虐殺期間中、難民を助けた私たちの父と他の外国人に敬意を表してくれた皆さんに、感謝の意を表します。」

こちらはロバート・ウィルソン氏の息子と家族の写真である。12月13日、彼らは自宅で家庭燭光祭を開いた。彼から届いたメールによると、「私たちは会えないが、平和を守りたい精神は共にあります。歴史を銘記してこそ、その暗い歴史は繰り返さないのです。」

彼らは、当時南京に留まった鼓楼病院医者のリチャード・ブレイディ氏の孫と曽孫娘である。彼らは白いろうそくを手に持ち、犠牲者たちを悼んだ。スティーブン・ブレイディ氏のメールには、「この日と未来の日々に、私たちは愛と平和の理念を信じていきます。」と書かれていた。

スティーブン・モリス・トリマー氏(左)と奥さん

スティーブン・モリス・トリマー氏は、当時鼓楼病院の内科医であったクリフォード・トリマー氏の孫である。トリマー氏の子孫らは白いろうそくを手に持ち、紫金草のバッジと公祭の胸章を身につけて、家で燭光祭を開いた。スティーブン・モリス・トリマー氏は、メールの中でこう書いている。「私と妻のエイミーは、記念館の皆さんと南京の人々に最も真摯な挨拶をします。国家追悼式に招待されて、本当に光栄でした。この30年、私の祖父母は、ずっと南京を自分の故郷とし、私の父もそこで生まれ育ったので、南京と南京の人々が私たちの心の中で特別な地位を持っています。84年前の南京の人々は、すでに強靭な品格を持っていました。南京市民の粘り強さ、善良さ、そして思いやりの心は、今日も平和と調和のとれた未来を追求する気持ちを誇示しています。」

「南京の善人」ジョン・ラーベ氏の像

この写真は、当時南京安全区国際委員会主席のジョン・ラーベ氏の孫であるトーマス・ラーベ氏が、2021年の国家公祭日の直前に送ってきたものである。1937年は、ジョン・ラーベ氏があたかも厳しい冬の暗闇の中に明かりを灯したようであった。今は、彼の子孫がろうそくを灯すことで、彼が危険を冒してまで何千万人もの命を救った行動を記念している。彼が執筆した「ラーベの日記」は、日本軍の血なまぐささと残虐さを明らかにし、人類の正義と良識を示している。この数年、ラーベ氏の家族も南京との友情を大切にし、死生の試練に直面した84年前の善良さ、勇敢さ、そして正義を受けついでいこうとしている。

ロバート・フィッチ氏

彼は当時、南京安全区国際委員会総幹事のジョージ・フィッチ氏の息子ロバート・フィッチ氏である。12月14日、記念館に送られてきた彼のメールには、「父が書いた本には、当時日本軍が犯した罪が詳しく記されています。南京大虐殺の犠牲者を追悼し、ご冥福をお祈り申し上げます。」と書かれていた。

日本にも南京大虐殺の歴史を伝えていくために、十年一日の如く黙々と自分なりの力を尽くしている人々がいる。2021年の公祭日の直前に、記念館は彼らに、書の巻物「平和宣言」を送った。そして、贈り物を受け取った彼らは、共に感謝の意と平和への祈りを表した。

大久野島毒ガス島問題研究所の代表である山内正之・山内静代夫妻は、「「平和宣言」という記念品を送っていただき、ありがとうございます。このすばらしい作品を壁にかけて大切にします。館長及び貴館の館員全員に敬意を表します。」と述べた。

巻物「平和宣言」を持っている山内夫妻

神戸・南京心連心会代表の宮内陽子氏は、「今日は、南京から記念品をいただきました。包装を解いて箱を開けて目の当たりにしたのは、素晴らしい書道作品でした。かつて、南京大虐殺犠牲者国家追悼式に参加した時、青少年たちが「平和宣言」を朗読したという記憶は未だに新しいです。残念なことに、当時、全部聞き取ることができませんでした。しかし、今、四字格の詩文を読んだ時、パッとその内容を理解しました。見事な書道から、中国文化の力まで感じ取ることができます。記念館からのご厚意に感謝しております。また、最近、開催予定の学習会で、この作品を人々に見せるつもりです。残念ながら、二年連続で南京を訪れられませんでしたが、この作品を見て、南京のことを思い出し、日中友好・世界平和という課題をもう一度真剣に考えようと思います。」と話した。                  

また、記念品に対し、戦争と医学医療研究会代表の西山勝夫氏はこう語った。「孫暁曇さんが書いた「平和宣言」の書の巻物を受け取りました。研究会の事務室の壁に掛けようと思います。記念館に対し、感謝の意を申し上げます。」

南京大虐殺60周年全国聯絡会の共同代表を務めた平山良平氏は、「『内憂外患、国破家亡(国は破れ、家族が離散して家は滅びるの意)』から、『民族覚醒、独立解放』まで読んだ時、知らず知らずのうちに、涙が溢れました。中国は、アヘン戦争から、列強や日本に侵略されてきました。一方、日本は、侵華戦争と太平洋戦争に負けた後、1952年ようやく独立国になりました。しかし、その後、ずっとアメリカに支配されて、中国のように民族覚醒と独立解放の日を迎えることができませんでした。日本の将来は、『路漫漫兮其修遠(この先の道は果てしなく長い)』という感じがします。日本は、南京大虐殺の歴史ときちんと向き合わなければ、民族覚醒という日は来ないと言っても過言ではないのです。ご厚意本当にありがとうございました。」と述べた。

そして、生命山シュバイツァー寺の住職、古川龍樹氏は、以下のように述べている。「こんなに見事な巻物をいただけるなんて、本当にびっくりすると同時に感動しました。感謝の意を表しようにも言葉が探せないほどでした。これから、寺の壁に巻物を掛けて、「平和宣言」をじっくり読みながら、日中友好に力を添えられることがあるかどうかを考えていきたいと思います。」

そのほか、歴史教育者協議会代表の斎藤一晴氏、鹿児島県日中友好教職員会会長の鶴田恒郎氏、鳩山由紀夫事務所代表の芳賀大輔氏、紫金草合唱団メンバーの大門高子氏、歴史教育者協議会メンバーの米山宏史氏らがメールによって、平和を願う意を表した。

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